インターネットラジオ生放送の実践法を基礎からわかりやすく解説!

先ずはここから始めよう!/前書きに変えて

前書きに替えて

 筆者が小学生だった1992年の4月、地元のローカルラジオ局で、主に中高生をターゲットとした夜の生ワイド番組が始まった。
その頃の筆者は、小学生でありながら外で遊ぶことをあまり好まず、かといってテレビゲームに没頭するわけでも無く、「今週の歌謡ベストなんとか」という音楽中心のラジオ番組を聴くことを楽しみにしていた。
今でこそ、「ラジオ番組はトークが最も面白い」と考えているが、昼間の大人向けのラジオ番組しか耳にしたことの無かった当時の筆者にとって、初めて「トークが面白い」と感じ、毎週の放送を心待ちにしたのがこの番組であった。
すなわち、この番組こそが筆者のラジオ番組作りの原点とも言える。
彼は、中高生のリスナーから寄せられる何気ない日常を綴ったお便りを、時には大人で有りながら彼らの目線で読み、時には人生の先輩として一人一人に暖かい言葉をかけ、1通1通を大切に扱った。
そんな彼の番組を聴いているうちに、筆者もいつしかラジオパーソナリティーを志すようになっていた。
中学に進学したときの最初の進路相談の席で、当時の担任教師に
「将来はラジオのアナウンサーを目指します」
と真顔で宣言したほど、世間知らずな幼い中学生だったのである。
しかし、夢は夢である。健常者でも狭き門と呼ばれるこの世界に、筆者のような全盲の視覚障害者が入り込むことが難しいことは当然であり、子どもながらにどこかで無理だと割り切っていた。
そんな筆者が、勉強もろくにせず、中高生時代のほとんどを捧げた趣味が「ミニFM」であり、初めて必死で健常者と同じ土俵で取り組んだのが、NHK主催の「NHK杯全国高校放送コンテスト」だった。
しかし、これらはいずれも最終的に筆者の希望にかなう物では無かった。
ミニFMは、聴取可能な地域がきわめて狭く、リスナーの獲得が難しい。また、NHKのコンテストは、番組作りの腕を試す場であるため、多くの人に自身が製作した番組を聴いてもらいたいという願いをかなえられる場ではなかった。
 そんなジレンマを抱えたまま時が過ぎるうちに、筆者の興味は、ラジオ番組の製作からコンピュータへと変化し、ミニFMを止め、高校3年生で部活を引退すると同時にコンテストへの参加の機会も無くなり、日々の暮らしの中で、ラジオパーソナリティーの夢は記憶の彼方に消え失せてしまったかのように思えた。
それから約11年が経過した2011年3月11日、東日本大震災が発生し、北関東から東北にかけて未曾有の被害をもたらした。
筆者の住む東京は、あまり大きな被害を受けることは無かったが、原発事故による不安、物資不足や計画停電などで、張り詰めた気分が続く日々を過ごした。
だが、これらの状況が徐々に解決し完全な日常を取り戻すと、心の中にぽっかりと大きな穴が開いたような、何とも言えない虚無感じみた物にさいなまれるようになってしまった。
「とりあえず何か楽しく、夢中になれるような趣味はないか」と考え込んだとき、心の片隅に眠っていたあの大きな夢が、頭をもたげて筆者の肩を叩くかのように、一つの思考が駆け巡った。
暇つぶしに何かをやりたい、そうだ、ラジオだ。
改めて見渡してみると、どんなに努力しても「自分が作った番組を多くの人に聞いて貰いたい」という夢が遠かったあの頃とは、周りの何もかもがまるで違っていた。
先ず、手元にはコンピュータが有り、自分の思うとおりに操作することができるようになっていたし、そのコンピュータは最大100MBPSでインターネットに常時接続されていた。それだけでは無い。自分のWebサイトを運営するため、大容量レンタルサーバの契約も維持していたし、そのWebサイトはGoogleにもインデックスされていた。自分の作った番組を多くの人に伝える手段も、その舞台も、いつの間にか目の前にあったのである。
これらを使えば、あの頃の大きな夢が叶うに違いない!そう考えるやいなや、実家に電話を入れ、古い機材のうちとりあえず名前の思い浮かんだ物を送って貰い、早速試しにアナウンサーのまねごとから始めようと、マイクに向かってNHKニュースの適当なページを読んでみた。しかし、どうしてもうまくいかない。それならと、次は日頃感じていることをラジオのオープニング風に話してみようとしたが、これもうまくいかなかった。11年という空白は、思った以上に大きかったようだ。おそらくこれは、何本か番組を作るうちに、それが練習となって元に戻ると淡い期待を抱いたが、それでは恥ずかしいので、何度間違えても後でやり直しのできる録音番組から始めることにした。これには、コンピュータで音声を扱うための基礎知識が必要だったが、少々時間をかけて調べれば、この手の情報は筆者を待ちわびてでもいたかのように瞬く間に手に入った。
内容については、コンピュータが好きなのだから、自分の好きなこと、つまり自分が購入してみて気に入った物を、視覚障害者の立場で紹介する番組はどうかと考え、早速製作したのが「暇つぶしラジオ」の始まりであった。
しかし、ミニFMで少ないながらもリスナーからリアルタイムに反応があることになれきっていた筆者にとって、録音番組の製作はあまり楽しい物では無かった。
時には、マイクの前で一人で話していることに少々のむなしさを感じるぐらい、退屈な作業に思えることさえあった程だ。
「録音番組がつまらなければ、当時面白かった生放送に戻ろう」
そう決意してから、必要な知識を習得すべく、Googleなどの検索エンジンにそれっぽいキーワードをいろいろと入力してみたが、録音番組製作の時とは全く違い、自分が求めている情報がほぼ見当たらないに等しい状況に愕然とした。
性格に述べるならば、健常者向けの情報は少ないながらも見つかったが、視覚障害者である私が、書かれたことをその通りに実行することは、WindowsのGUIに阻まれてほぼ不可能だったというところだろうか。
しかも、その数少ない「生放送に必要な情報」は、ミニFMをやっていた頃の常識とはかけ離れた物ばかりであった。
そこで、既存のいくつかの生番組を見つけて聞いてみて、それらの音質の悪さに、さらに肩を落とした。
ミニFMの常識では全く考えられないレベルの音質で配信されるそれらの番組は、おそらく数少ない情報の中の、わかりやすい特定のページが推奨するままにシステムを構成して配信されている物で有り、「情報の少なさ」こそが、このような状況を作り出しているのではないかということに気付くまでにさほどの時間はかからなかった。
頼るべき情報が公開されていないのならば、ミニFMでの経験を生かして最良の方法を自分で見つけるしか無い。
それから、悪戦苦闘の日々が始まった。
あれを試してみて、これを試してみて、聞いてみて納得がいかないの繰り返しで、どれだけ無駄な時間と費用を費やしたか知れない。
幸いなことに、放送機材やコンピュータなどのシステム構成については、ある程度の答えが見えてきた。
 面白い番組を製作するためのノウハウも、筆者には全くといっていいほど無かった。そこで、時間を見つけては自分にできる面白い番組とはどういう物なのかを真剣に考え、いろいろとやってみては躓き、また違うことをやってみては、躓きの繰り返しとなっており、これに関しては、何となく答えが見えつつある。
 もう一つ気になったのが、アナウンサーなどの話すことを職業にする人ならば当然身につけているべきな、日本語を正しく発する技術についての情報の少なさだった。幸い、こちらについては、高校生時代に後背向けに作成したテキストが残っており、復習の意味でこれを読み直して練習し直すことで、なんとかなった気がしている。
 インターネット生放送に関する情報が少ない中で、つたない物ではあるが、筆者の経験したことを文章に書いて公開すれば、もしかすると誰かの役に立つかも知れない。
もし、誰かの役に立たなかったとしても、自身がわかりやすい文章を書く練習ぐらいにはなるだろう。
こんな思いから、このマニュアルをしたためることにした。
未熟な点が多々有ろうとは思うが、足りない点は随時修正し、筆者が新たに学習したことを反映させながら、できる限りよい物にしていきたいと考えている。

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